1996年9月から10月頃、突如として「志村けん死亡説」が全国的に流れた。インターネットのあまり普及していなかった時期としては、異例の伝播だった。同時期、志村のゴールデンタイムの全国ネット番組が終了している。内容は「群馬県の赤城国際カントリークラブで急性心筋梗塞を起こし急死した」、「尾瀬を観光中に尾瀬沼に落ちて溺死した」、「宇都宮のがんセンター(栃木県立がんセンター)で煙草の吸いすぎが原因の肺ガンで死んだ」、「栃木県の国道で交通事故に巻き込まれて事故死した」、「死んだことは四十九日法要が過ぎてからでないと公表されない」(これは同時期に亡くなった渥美清が、 遺言にて四十九日法要が済むまで公表してくれるな、と表記されていた事実からの引用だと言われている)、「今放送している番組は生前に撮り溜めしたもの」 などと具体的な内容の噂に発展。栃木県立がんセンターが「志村さんは入院していない」という異例の声明を出すに至り、9月28日には本人がインターホン越しに記者会見し健在をアピールした。
伝播元が群馬や栃木なのは、この2県は志村姓が多く、他には甲信越3県も志村姓の多い県である。志村姓が群馬・栃木・甲信越に多いのは、志村一族のルーツは甲斐を発祥とし、元々は武田家の足軽頭を務めており、武田氏滅亡後に武田の家臣であった真田の所領地の上野・下野・信濃に逃げ込み、また信玄は「余が亡くなった後、窮地に陥る事あらば、謙信の世話になるように」と遺言を残しており、上杉景勝を頼って越後に逃げ込んだ者もいる。そのため新潟県には志村姓も多いが、いかりや長介の「碇矢姓の発祥の地」と、いかりや長介の息子・いかりや浩一が書籍(親父の背中)で公表した程、碇矢姓も多い。
この騒動直後に収録された、不定期放送番組『ドリフ大爆笑』の「公開コント」(母ちゃんコント)では、加藤茶に「あ、知ってる?志村けんが死んだってよ」とネタにされ、本人が苦笑しながらツッコんだ。また翌年の『志村けんのバカ殿様』では猿岩石との「母子コント」で「母ちゃんだって、死んでたって噂になってたよ」などギャグにされ、母親役の志村は「その頃『電波少年』で旅をしていたのになんで知ってんだよ」とやり返していた。
死亡説流布時、騒動が大きくなったためマスコミへ発表したが、インタビューを含めてほとんどが芸能ニュースではなく社会ニュースとして取り上げられた。
一連の騒動の真相は、その時期に「しむらけん」という人が北関東地方(群馬か栃木かは不明)で亡くなり、それが志村と混同されたからだと『ダウンタウンDX』で高木ブーが語っている。ちなみに、このことを志村自身は知らず、一緒に出演していた本人も驚いていた。
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